第六章

 黒守暴穏島から遥か南西。
 乾いた赤流火穏の大地に響き渡る轟音。
 岩を砕き、道を削りながら黒い車輪が進んでいく。
 小山の様な巨体を誇る陸上戦艦、吏死低阿。
 その後ろに濛々と立ち上る砂煙。
 その黄色い嵐も果てた辺りから裏死低阿を追従する影があった。
 馬に乗り、砂を避ける為に全身を布で覆い、目だけを覗かせて必死に追いすがる。
「くそっ、情け無い。こうして見張る事しか出来んとは」
 赤流火穏の兵士、守備利暗(シビリアン)は歯噛みする。
 十名にも満たぬ小さな部隊、その全員の気持ちを代弁するかの如く、吐き捨てるように言った。
「隊長、せめて我等だけでも何とか……」
「逸るな。奴等の動きを読みきれず、防衛線を伸ばした結果、我等は各個に撃破されたのだ。ならば今は幾ら悔しかろうとも奴等を監視するのが使命」
「はっ」
 部下の男は小さく答える。
「動くのが遅すぎたのかもしれんな……」
 後悔を滲ませた守備利暗の呟きに後ろの部下が不安な表情を浮かべる。
「黒守暴穏島の方は大丈夫なのでしょうか?」
「分からん、後は信じるしかあるまい、スカル候をな……」
 男達の上には鉛色の空が延々と続く。
 絶望に押さえ付けられているような思いを振り払うべく、男達は馬を走らせた。


 燻った灰色の煙があちこちから立ち上り、吏死低阿はその無残な姿を真昼の日の下に晒していた。
 車輪を無くし、斜めに倒れた吏死低阿の中を隠丸に先導されて葵麗駆主と明日那が歩く。
 船底の貨物庫に入った三人は、そこに異様な空間を見つけた。
 床に描かれた南蛮文字の魔方陣の上に設けられた祭壇らしき物。
 しかしその上には何も置かれていない。
「これは……一体」
 明日那の呟きが広い貨物庫の中に響く。
 膝を付き、床を調べていた葵麗駆主は立ち上がる。
「陣に戻りましょう、急がなくては」
「やはり、本命が来ますか」
 予想していたように隠丸が呟く。
「ええ、残念なことに」




 陣に葵麗駆主達が戻るのを待っていたのか、三人の元に絶突が駆け寄る。
「姫、戻られましたか。後で烈弩が倉庫の方に来て欲しいと言っておりました」
「分かりました。それからナイアーがやはりこちらに向かっているようですね」
「すでにご存知でしたか。確かに、捕虜の話に寄れば現在こちらに向かっている大型双胴艦が本命かと」
 絶突の声は重い。
 吏死低阿を撃破したばかりだというのに、休む間も無いのだ。
「吏死低阿の中に結界の要となる物は見つかりませんでした。恐らくは、本陣に引き上げさせたのでしょう」
「最後の要はナイアー自ら?」
「ええ、間違い無く。それにあの男も」
 ゲルフィニートの姿が吏死低阿に無かったと言う事は、次に必ず現れる。
「三国からの援軍はどうだい?」
 隠丸の問いに絶突は頭を振る。
「駄目だな、奴等が来るまでに間に合うかどうか」
「相手はそこまで見越して攻めて来るかね」
「さてな、ただしこれ程周到に攻め込んで来たのだ。日のある内に攻め込んで来るだろう……」
「何にせよ、迎え撃つだけです」
 葵麗駆主の静かな声に皆が頷いた。



「兄上、遅くなりました」
「おう、来たか」
 葵麗駆主と合流した烈弩は倉庫に入る。そしてその後ろに付く明日那。
 三人が向かった先には三人の男が縛られていた。
 ストライク、イージス、インパルスは手を縛られて倉庫の中、即席の檻の中に入れられていた。
「何の用だ」
 ストライクが顔を上げる。
「聞きたい事があってな。あの得物、どこで手に入れた?」
「何故それを聞く?」
「あれは魔の力だ、しかもお前達に憑いていやがった」
 ストライクの盾、イージスの槍、インパルスの変化、それらが、殺気と歪んだ魔力を放つ元凶だと、すぐに分かった。
 そして烈弩の感じたその殺気には違和感があった。
 二重の殺意とでも言えば良いのか。
 奇妙なずれ。
 似通っているが別々の方向を向いた感情。
 その違和感の正体を烈弩はストライクに問い詰める。
「何だと……我らがそのような力を」
 使う筈が無い、とストライクは続けようとした。
 しかし、言葉が詰まる。
 急激に蘇る昨夜の苦痛。
 何故、忘れていた。
 いや、思い出そうしていなかった?
 そうだ、帝国術師ゲルフィニート、俺は昨日奴に何をされた。
 動揺した体を戦慄かせて、次の声が出て来ないストライクを黙って烈弩は見下ろす。
 ややあって視線は動かさぬまま烈弩は葵麗駆主、と声をかける。
「何か分かった事はあったか?」
「兄上、宜しいのですか?」
 ちらりとインパルス達を見る。
「そもそも今回の作戦、この島に埋まる螺触麗死悪を開放する事が目的と思われていました。これについては……」
 表情を窺う葵麗駆主の視線に押し黙るイージス。
「既に承知のようですね。螺触麗死悪は魔の妖華、その身から妖気を放ちこの世を覆うと言われています」
「だが、ナイアー様ならそれをも支配し、力にする事が出来ると言われた……」
「操れる物かどうか、私には分かりませんね。さて、ここからは文献からの予測となりますが、そもそもこの島は古来より光と闇の力が不安定で時に異界の門が開く、悪無覇域夢山に近い性質を持っていたようです」
「何でまた、そんな所に封印を?」
「逆でしょう。恐らく螺触麗死悪とは元々異界の植物。元の地に戻る為ここにやって来たか、ここから現れたのか、どちらかは分かりませんがね。そして災厄たる華は、この地に門と共に封じられた」
 さて、とそこで葵麗駆主は言葉を区切る。
 手にした扇を下に向ける。
「今回の敵の布陣、この地に眠る螺触麗死悪を目覚めさせるだけにしては、いささか大仰というもの。それが気になる所ではありました」
「何が言いたい」
「復活だけでは無く、ナイアーはこの地に螺触麗死悪と結界を使って魔界への門を開き、闇を広げようとしているのではないか、という事です」
 ストライクの問いに葵麗駆主は淡々と答える。
「ふん、誰がそんな事を信じる」
「兄上」
 そこで葵麗駆主は烈弩に質問する。
「少々形状は違いますが、巨大戦艦を集め、闇を生み出すこのやり方、記憶にありませんか?」
「邪悪武者軍団か?」
 考える間も無く気付いた。
 十年前、邪悪武者軍団が生み出した闇を滅したのは烈弩だからだ。
「ええ、闇の者の気配が、今回の戦にもどこか……」
「黙れ! それがどんな力であろうともこの世界に新たな秩序と平和を手に入れる為に使えば問題は無い!」
 後ろ手に縛られたまま、膝を立ててイージスは声を荒げたが、烈弩は動じない。
「はっ、手前の都合で戦を始めるような奴に言われたくは無いな」
 威圧する烈弩の声に三人の口がつぐむ。
「力なんてのは何かを守る為にあるもんだ。結局の所、無くたって構わんさ。使う事ばかり考えて、民の事を忘れてるようじゃあ、手前らの新しい秩序だのなんてのは、受け入れられるものかよ」
「お前に、国を守れなかった者の気持ちが分かるか!」
 ストライクの言葉に、烈弩の顔が僅かに歪む。誰にも分からない程、少しだけ。
「分かるさ」
 ぼそりと、それだけ言うと烈弩は後ろに下がる。
「恐らく、ナイアーがこうまで力を欲するのは、領土の拡大が余りに性急過ぎた為では無いのですか? 新たな土地を得、そこに不満が表れれば革命の敵を隣国に求め、領地を広げていった。その抑止力を求めるのが今回の戦いでは? あなた方こそ、その気持ちが分かるでしょうに」
 最後の葵麗駆主の言葉に三人は何も言えず、黙り込んでしまう。
「最後に聞きます。あの力、誰から与えられたのですか?」
「帝国術師ゲルフィニート……」
 ストライクの言葉に葵麗駆主は頷くと、
「分かりました」
 そう言って出口に向かって歩き出す。
「あっ、お待ち下さい、姫」
 それを追う明日那の言葉にイージスが驚く。
「ま、待て、貴様の名前は?」
 出口に向かう烈弩の背に向かって叫んだ。
「烈弩、烈弩武者頑駄無」
 頑駄無だと。
ならば奴は、天宮の王族という事か?
 その正体に気付き呆然とする三人を後にして、烈弩達は倉庫を出た。

 本陣へと道を急ぎながら烈弩は頭を掻く。
「ええい、喋り過ぎたな」
「良いではありませんか、真実でありましょう?」
 妹に茶化されて、烈弩は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「良い言葉でした。頼りにしておりますよ」
「えらく殊勝だな」
「それだけ、正念場という事です」
「ああ……」
 後数刻もすればまた戦闘が始まるだろう。
 しかし束の間の休憩にも烈弩達は慌しく動く。

 島には張り詰めた空気が漂い続ける中、仕切り直した陣の前に木の柵を立てる作業を隊員が総出で行う。
 作業を行う焔組の面々の中で一番目立つのは斎三。
 見上げる程巨大な重作業用鋼腕機械(パワーローダー)爆進号と合体した斎三はその巨大な手の爪で何本も纏めて木材を運び、柵を設置していく。
「流石にやるな、斎三」
「うん……」
 珍しく素直に琥狼主が褒めても、斎三は気の抜けた返事をするだけだ。
 その半端な態度に思わず琥狼主は爆進号の足を叩いた。
「何を悩む事がある」
 いつもなら食ってかかる斎三も今はおとなしい。
「だってさ、さっきの戦い、おいらは結局皆と一緒に大砲撃ったくらいでさ、琥狼主みたいに強い騎士を倒したりしてないし……全然大した事も出来ない子供だった」
「阿呆が」
 また足を強く叩く。
「そんな事で悩むのが子供だと言うのだ。細かい事に拘らずに、お前がやれる事をやっておけばそれで良い」
 琥狼主の思わぬ言葉に、斎三は驚く。
「そうなのか……じゃあ、そうする」
 素直な斎三に琥狼主も無愛想な顔で答える。
「子供の時分に何をやれば良いか分かっているだけ、お前はましだ。下らん事で悩むよりかはな」
 格子に組んだ木が交わる所を縄で補強しながら呟いた琥狼主の隣で、小さく笑いが起こった。
「私には耳が痛いお話ですね」
 二人の横で阿吽修羅がどこか照れたような微笑みを浮かべていた。
「私も早く大人になりたかったんですよ?」
 腰の前に装備した機械腕を巧みに操って組まれた丸太を縛りつけながら阿吽修羅は琥狼主の方に向き直る。
「二人の話を聞いて思い出していたのですが。ちなみに琥狼主さん、私の幼名をご存知ですか?」
「いえ……?」
「今でも恥ずかしいのですが、風鈴夢(プリム)と呼ばれていたんですよ」
 口元を手で押さえて阿吽修羅は笑う。
「その、兎にでも付けるような名前だと思いませんか? 幼い頃はこの名前が恥ずかしくて恥ずかしくて、親に泣き付いた事もあったんです」
 ふふ、と阿吽修羅は笑い、昔を懐かしむような目をした。
「結局名前だけで何が変わるというわけでも無いのに、今にして思えば何故そこまで拘っていたかと思うと」
 そう言って笑みを浮かべる阿吽修羅に慌てて琥狼主が否定する。
「あ、いえ、そのような事は無いでしょう。風鈴夢は確かに、恥ずかしいと言いますか」
「そう呼ばれていた時の事を思い出します。やはりこそばゆいですね、今でも」
 中々に話が弾む二人を見て、とりあえず斎三は木を強く突き立てた。






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